今回はいまいち生態が知られていない希少種PIとの働き方のようなお話。 Twitterで頂いたご連絡からアイデアを得ました。 僕の場合はこうしています、という程度のもの。 ジャイアンPIをしばらく凌ぐとたまに出会える可能性のある出木杉くんPI。周りの学生やレジデントから人気で一緒に働きたいけど中々入り口が見つからない、というような人の設定。 なので千載一遇のチャンスを活かして仕事出来ますアピールでハートをガッチリ掴みたい。 だが研究に関するコミュニケーション作法のようなものって意外とブラックボックスで、何が一般的でどのようなアプローチで仕事を進めてどの段階でプレゼンをすればいいかが分からずに心配になることってないだろうか。 これは偏見かも知れないが、臨床に引っ張られてコミュニケーション不足気味の臨床医PIと働く時に多いシチュエーションのような気がする。 多分一般論として言えることは、PIの好みやスタイルは千差万別なのでそれを出来るだけ早く読み取って順応することがキーではないだろうか。 なのでPIの好みのようなものをあらかじめ本人や周りの人に聞いておくのは悪くないと思う。自分に合わせようとしてくれている、という意図が伝わるだけで好印象だと思うし、逆に遅い段階だと聞くに聞けない雰囲気になってしまうかも知れない。 ミーティングはどのくらいの頻度が良いか(週1、結果が上がり次第、etc) 未完成のものを方向性の確認のためにシェアしても良いか 解析のディテールはどの辺まで知りたいか など。まぁザックリでも感じがつかめればプラスだと思う。 そしてハイパーなグループになると新メンバーのオリエンやその読み合いのステップを省略するためのルールブックのようなマニュアルが存在する。 これは効率的で素晴らしいと思うし、外部から見てそのグループに合うかどうかの初期評価をするのにも有用な気がする。 うちの学生やレジデントが参加しているグループ1でも取り入れたいと思っているのだがいまだに流動的なところが多いのでマニュアル化できるのはまだまだ先の話。 2割の時間で8割の結果をまず報告 これは20:80 ルール的な考えで、おそらく8割の仕事をするのにかかる時間は全体の2割程度で、残りの2割を詰めるのに8割の時間がかかる、というようなもの。 ターンオーバーの速度を上げる目的で8割に到達した時点で一度PIに投げてみる、という方法を僕はよくとる。 そこで方向が全く違っていた場合はロスが少ないし、その結果を送る時点で、完成からは程遠いレベルだが方向性だけチェックしてほしい、というようなことを明記していれば嫌な顔をされることはないのではないかと思う。 簡単な例では図の配色やフォーマットを整えるのには時間を費やさずにとりあえずザックリのイメージが伝わる物を手早く見せて内容に関する意見をもらう、というようなもの。 ここで自分の認識でも未完成品、ということをハッキリさせておくのは重要で、これが抜けていると「こんなテキトーな物を送ってきよって」というお叱りを受けかねない。 今は二人のPIとこのやり方で一旦早いうちにチェックインして少し軌道修正が入ったものを時間をかけて自分が思う10割の仕上がりのものを再提出、というような感じにしている。 利点は、早い段階で進捗具合を報告できる機会ができることで、特にそのPIと書く最初の論文ではあった方が良い気がする。 恐らく最初のプロジェクトはお互いの感じを手探りで掴もうとしているのでここで歩調を合わせるのは重要ではないかと思う。 逆にマズいのは120%の質に仕上げようとして最初のチェックインまでに数ヶ月とかかかってしまう場合ではないだろうか。その間にプロジェクトが他のメンバーに回っている可能性も充分あると思う。 また、「なんか仕事早いヤツ」ポジションをゲットすると他のプロジェクトも振ってもらいやすい気がする。 メールやSlackでの反応を早く PIとする一番初めの仕事ではとにかく返信を早くしている。他の仕事を一旦止めて少し無理してでも最速で返すようにしていて、意図としては、向こうが「あ、なんか直ぐに必要になった場合こいつならすぐ反応あるな」という認識を作り出せれば色んないいことがある気がする。 うちのボスはミーティングのスケジュールが数時間前に決まったりするので、そのスロットに入り込むにはこの設定が必要かと思う。 またある程度の連絡のテンポが維持できればそこで軽いアイデアのキャッチボールのようなこともできるので、この認識は作れるなら作っておいて損はないと思う。 現にこのやり取りでアイデアが結構生まれた。 もちろん寝かせて考えなければいけないような事項は比較的ゆっくり返信。 エチケットとして’Thank you’だけの内容のメールは相手の時間が無駄になるので送らない、ということが言われるが、これに関する好みも個人差がある印象なのであまり作法本に書かれているようなものを鵜呑みにして本人に確認なしでその前提で臨むのは危険かも知れない。 とにかく先読み 忙しいPIほど自分で数ステップ先まで読んで解析やらプレゼンを準備して行った方が話がスムーズに進むし評価されているような気がする。 というのも、PIはPI でもdecision fatigueというか、ただ単にコンテキストなしの結果だけを延々とプレゼンされてもそれを読み込んでいい角度に落とし込むのはおそらくエネルギーを使うわけで、 データをプレゼンしてその上で自分の解釈と論文の方向性の提示、プラス代替案まで持っていければそれに基本Yes/Noで答えれば良くて、もう一段上に昇華させるためのアイデアにPIの時間とエネルギーを使えるようになる印象。 なのでやはり強力なペーパーの裏にいるのは強いPIだけではなくてファーストの人間のレベルとの掛け合わせなのかなと最近考える。 逆に、「PIが出し得るペーパーのレベル」が安定している場合、そのレベルの成果が引き出せないのはファーストである自分に至らないところがあるのだろうかということを考えないでもない。 まとめ PIのスタイルは千差万別で、一般化できる慣習のようなものは少ない気がする。 基本はボスの好みやスタイルを早くから学ぼうとする姿勢があり、それをうまく伝えれれば良いのかなと思う。 そしてその中でもターンオーバーをリーズナブルな範囲で最速化し、コミュニケーションをオープンにして次の数ステップを先読みできると盛り上がるのではないだろうか。
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臨床医が臨床研究論文を書かなければいけないことの異常さ
今回はジャイアンPI出生の秘密に迫りたいと思う。 前からモヤモヤしていたトピックだが最近Twitterでご連絡を頂いた先生とのやりとりで考えが固まり、許可を頂いたので記事にしようと踏み切った次第。 僕の中のジャイアンPIは 臨床医で臨床経験豊富 臨床研究をやりたいがあまり時間を割けない 臨床的に重要なクエスチョンをデザインや統計的なリミットを考慮せずに追求する 学生やレジデントと研究したい まぁ実在するかと言えばするかもしれないし、しないかと言えばしないかもしれない。映画版テレビ版含め、程度の違うそれぞれのジャイアンが思い浮かぶ方もいるのではと想像する。 そして自分主体の研究で共同研究者や学生を巻き込む場合、一歩踏み外せば自分がジャイアンになってしまう危険は常に潜在しているのではないだろうかとも思う。 なぜジャイアンは生まれるのか まず「従来」のアカデミアにいる研究一筋の研究者と臨床医にとっての研究論文の重みの違いから考えたい。 臨床医が臨床の片手間でやっている研究と研究メインのファカルティーがやっている研究では論文のライフライン的な重みがかなり違うと思う。「死活問題では無いが臨床論文が書きたい場合」でも少し触れた。 米国の話だがいわゆる生物医療系(?)の研究者は大学からファカルティーとして雇われる場合は自身で獲得してきたグラントで賄うソフトマネーが給料の何割、という契約になるケースが多いと思う。 大学から年給の100%が保証されている研究職のファカルティーポジションはごく稀だと聞く。 対して臨床医のほとんどが給料は臨床を通しての売り上げやベース保証いくら、という形で、グラントや研究での成果を上げないと何割の給料が出ない、というような雇用契約の臨床医はほとんといないのではないかと想像する。 なので研究が上手くいかなかった場合のリスクが段違いだし、結果そこにコミットするまでの試行錯誤やフィルターになるプロセスが臨床医には比較的少ない気がする。 これが臨床医からジャイアンが生まれてくる理由の一つだと思う。 アカデミックな機関に臨床医として雇われる場合、臨床ができるのは前提だが、研究成果や研究に関する経歴ってプラスになるものはあれど、 それが欠けているから働き口がない、というケースは一部施設を除けばあまりない気がする。 なので3次医療的な環境で臨床がしたいしアカデミックな面に興味があるから大学病院に就職しよう、となった所に「昇進するために論文が必要」というプレッシャーが加わり、研究に関する知識や技術が満足いかない状態でも臨床研究を行わなければいけなくなってしまう。 そうして生み出されたジャイアンと(無数のレジデントの屍を乗り越えて)論文を書いたレジデントも一応研究成果がでてなんとなく研究ができる・続ければいけない雰囲気に取り込まれ、やがてアテンディングになると自分がジャイアンとして転生しこのサイクルが連鎖するのではと考える。 医者は臨床研究論文を書いた方が良い、という前提 臨床医が何かしらの研究論文を書いた方が良い、という前提がおかしいのではと考える。 臨床知識があって論文を書いたことがあるから、研究の専門的トレーニングや実績が無くても下の人を巻き込んで臨床研究をして論文が書ける・書かなければいけない、という流れには違和感を覚える。 もちろん、これと言ったバックグラウンド無しで上手くいっているケースは本当に素晴らしいと思うし、超絶なノウハウが蓄積されているのだと想像する。 ただ僕自身も今の施設で巻き込まれて苦い思いをした経験が多数あるし、上手くいっていないケースは多い印象。 これはそのような環境でリサーチせざるを得ない場合がどうというのではなく、それを助長するシステムがおかしいのでは、という議論。 むしろ「ほとんどみんな論文書く」をデフォルト設定にしたいなら、臨床研究を行いやすいように医学部教育の時点でスタディーの組み方、基本的なメソッドや統計手法のカリキュラムが一般化されるべきでは、というのは理想論だろうか。 この「何だか論文を書かなければいけない」雰囲気によって、あまり熱のこもっていない論文が書かれ(僕の過去のものも含めて)、クオリティーチェック無しにひたすら論文をアクセプトして出版費で収益を得るインパクトファクター0.0のハゲタカジャーナルがビジネスとして成り立つことにも多少なり貢献していると思う。 この現状を受け、低クオリティーの論文を抑制する意図で、「研究者生涯で論文として出版できるトータル文字数に制限を設ける」もしくは「掲載できる生涯論文数に上限を設定する」と言ったアイデアも結構真剣に議論されている。 Nature のコラムにもなった議論。 ただ、これに対して僕のボスが言っていたのは、「私の書いた論文トップ数本はそこに至るまでの無数の小さな論文から学んだことによって支えられているものだからこの議論はナンセンス」ということで、ごもっともすぎて衝撃が走った。 また、今やっている詰め度の研究を初めから要求されていたら絶対挫折していたし研究なんてつまんねって思っていた可能性が大きいので小さいトピックで割と敷居が低く書ける環境は大事。 まとめ かなり紆余曲折あったが何が言いたかったかというと、 臨床医が「書かなければいけないから」となって受け身で書く論文は色々辛いと思うしシステムとしてそれなりの弊害があると思う。 ただ、その重要な副産物として、臨床研究に目覚めて継続している人たちがいるのは確かなので手軽に経験できる環境は大事だと思う。 臨床医に臨床研究を求めるなら必須レベルのカリキュラムに力を入れるべき、というのは正論だと思うのだがそれも色々難しそうな話なので、この様な媒体で偏った情報ながらこんな感じのことを発信していけばどこかで何か良いことがあるのではと思っている。
僕の研究環境2020
特に面白くないと思うので恐縮なのだが、僕の今の研究環境のまとめがあった方が恐らくご理解いただける(と思われる)記事を書こうと思っているのでその時の引用のために書いておきたい。 僕が臨床研究に関わり始めたのは医学生の頃で、そこでデータベースの作り方やゆる〜いデータマネジメントと解析を学び始めた。 研修最初の一年半程は相性の良いファカルティーに出会えず、あまり研究には力を入れていなかったのだが、2年目途中で来た心臓外科部長がかなり最高だったので彼のもとで研究チームを立ち上げた。 チームと言っても当初は僕と部長の二人で、そこからまずリサーチアシスタント兼ポスドクの様な人を雇ってデータベースなどある程度のインフラを作ってから他のファカルティーを取り込んで、今では学生も一定の数が安定して研究に参加してくれているのでトータルで15人くらいのグループになった。チーム構成のノウハウはここで学んだ感じ。 これが僕の所属する一つ目の研究チーム。 研究チーム1 ここで現在は自分でデザインしたスタディーや作りたいデータベースを、半試験的にこのチームのインフラを使ってやらせてもらっている。 例えば、2万人分くらいのCTのデータを電カルからオートで取り出してきたものの内の600人ほどのサブグループに詳細を足すために電カルからマニュアルでデータ採取しなければいけないプロジェクトがあったのでそれをメンバーに頼んで人海戦術で取り出してもらってなかなか稀有なデータベースが出来たのだが、これは成功だったと思う。 いまは結構な規模のシステマティックレビューをやっているがこれはどう出るかまだわからない。 僕にある程度セオリーの知識があって見通しが良いものを学生がリードするか、局所を手伝ってもらっている感じ。ただせっかく興味を持って時間を割いてくれているのでいい経験だと思ってもらえる様にスキルアップできる環境にしようとは努めている。 また、僕がリードした論文は何か共著者の条件を満たせる簡単な仕事をしてもらって共著にする、などその学生たちの論文がうまくいかなかった場合の保険的なものは一応かける様にしている。 このグループでは僕は中間管理職的なポジションにおり、上のファカルティーたちが好き勝手投げ込んでくるリサーチクエスチョンから、リーズナブルな労力でペーパーにまとまりそうなものを選んでタスクに分けたものを手の空いているメンバーに振り分ける、と言う様なもの。 他に使えるシチュエーションが想像できないが、このスキルはかなり磨かれたと思う。 ジャイアンが投げてくるヤバいプロジェクトを自然消滅させるのも僕の仕事。 研究チーム2 院のトレーニングに関してはこっちの方がメインなのだが、 研究チーム2はチームというよりはPIと一対一でプロジェクトを練って、解析したものを8−9割煮詰まった時点でエキスパート共著者に送りつけて完成させる、と言うアプローチをとることが多い。 このPIは執筆論文1000本以上の研究モンスターで、ネットワークが広いので大抵の技術的な、もしくはデータアクセス的な問題はコラボレーターを取り込むことで解決できている印象。 ここで仕事できるのは本当に感謝しかない。 そしてここで学んだコンセプトやスキルを研究チーム1で自分の監督下で実践できるかを試している…と言う感じ。 このPIとは一年半くらい仕事をしているが、ワークフローが上手くハマったと感じるまでに半年くらいかかった。 リサーチクエスチョンを練るためのディスカッションから始まってデータのプレゼンや、どの煮詰まり具合でペーパーを見てもらうか、等全てのステップにこだわりスタイルがあるのでそれが把握できるまでに時間がかかった感じ。 そこがハマったあとは働きやすくなってワークフローもスムーズになった。 あと最初の半年は恐らく値踏みされていたとも思う。 研究チーム1では量重視に対してチーム2では質重視という感じで、時間の割き具合は30:70でチーム2が多いのだが、出るペーパーの数は多分70:30くらいでチーム1だと思う。 他に不定期で関わらせてもらっているチームがあるが、この2チーム以外で筆頭で書くことはほとんどない。 チーム1でやっている仕事はチーム2には不可視なので今週は何やってたんだ、みたいなことになることもあるがセットアップが全く違う環境に同時にいれることはいい経験になっていると思う。
死活問題ではないが臨床論文が書きたい場合
臨床メインだけど論文が書きたい。Knowledge overlap を持ったリーダーがポイント。 臨床医の論文執筆のモチベーションは、たいていの場合研究本業の研究者のそれと異なる(気がする)。 結局はアカデミックな世界での業績や分野への貢献というところに行き着くのだと思うが、研究本業の研究者にとってはグラントをとって独立した研究者として生活していくことを前提とした死活問題。比べて臨床医は昇進や就職に有利といった、割とソフトなところに動機がおかれているように感じる。臨床医の論文執筆は、フルタイム臨床で給料をまかない、残された勤務時間外で研究をするというフレームワークが多いのではないだろうか。 割ける時間や労力、インフラの違いは歴然だし、結果でてくる論文の質や量も違う。もちろん臨床研究にも一流があり、それでグラントを取って大規模でハイクオリティな研究をしている専門家たちもいるがごく一部だと思う。僕の現在のボスは循環器内科医でそれにあたる。 では、そんな命がけで論文を書く必要はないけど臨床論文が書きたい医者はどうすれば良いのだろうか。僕がまさにその立ち位置におり、数年前に臨床研究チーム立ち上げをリードした時にチーム構成や技術に関して気づくことがあったので個人的な見解を書こうと思う。今回は ‘knowledge overlap’ がテーマ。 僕が思う臨床研究に最低限必要なパーツは以下5項: 1. 分野の専門知識 2. 生物統計の知識と解析技術 3. スタディーデザインの知識 4. データベースとその特徴に関する知識 5. 執筆を含めた総合的なプレゼン力 1人で5項全部カバー出来る場合はワンマンでの執筆が理論的には可能だが、大抵の場合は臨床医が中心となって1、4、5をカバーしMPH保有者などの生物統計の理論と統計ソフトに理解のあるチームメイトに2、3を頼るケースが多いと思う。見落とされがちな重要点は、1−5総てをある程度理解している中心人物が不可欠ということ。Knowledge overlap というコンセプトで、異分野間の通訳の様な役割を通してプロジェクトを前進させるリーダーだ。このリーダーがいないと5点どこかが常に専門外のパーティーにブラインドされている状態になってしまい、欠陥を見落としてしまう 。よくできたデザインで解析も終わったけど、実は結果の解釈がまったく間違っていたことに誰も気づかずに査読の段階で指摘されて…という惨劇が起こりかねない(実体験含む)。 Knowledge overlapを持つリーダー 抜きで、統計やスタディーデザインを全く知らない臨床医と臨床の知識がない統計屋が研究を立ち上げようとすると、とにかく時間がかかる。データベース特有の制限は?Outcome は?比較群は?といった基礎的な部分がクリアされていない場合が多く、デザインの段階から停滞してしまう。データベース構築から始めなければいけない場合はさらに険しい道のりになる。 また、統計的手法にある程度の理解がないと計量的な観点からのスタディーデザインができない。逆に統計的な制限に対する理解が少しあるだけでも臨床的な疑問を計量的な問題に可視化することができて良いトピックが思いつき易くなったりする。 研究チームのメンバーをリクルートする側になってみると、この knowledge overlap を持つリーダー的人材は大学病院でも意外と希少なことに気づく。近年、医者が公衆衛生大学でMPHを取るのが増えたのは素晴らしい動きだと思う。またトレーニングの性質上、医者が統計の基礎を学ぶ事の方が統計のエキスパートが医学の基礎を学ぶより比較的簡単だと思うので、個人的にMPHや統計系の修士等のトレーニングは今後ずっと臨床研究を やっていく志がある医師にはお勧めだと思う。うちの大学の外科研修プログラムでも、毎年2−3人は臨床を数年休んでMPHのような学位を取っている。 臨床研究は基礎研究とはタイムスケールが全く異なるため、簡単だと思われがちだが個人的には40本近く書いて一連作業がベルトコンベア化した今でも、1本ごとにノウハウが蓄積されていく感じはまだまだあるので、ラーニングカーブはけっこう大きいと思う。