先日米国の日本人の先生方と「論文について語りあう」という楽しすぎる趣旨のZoom飲みに参加させていただいた。
とても楽しかったし色々な発見があったのだが、自分にとって論文とは?というお題が出て、その場では全然考えがまとまらなかったのだがその後考えてみたことを書きたい。
参加されていた先生が仰っていた、キャリアの段階や目的によって変わってくる、という点にすごく共感した。
本数が必要なフェースもあれば、数はいらないけどデカいのが書きたい、という時やこの手術のテクニックで売っていきたいから書く、ということもあるのではないだろうか。
僕自身にとっては、論文は目的を達成するためのツールであるが目的そのものではない、ということはフェーズを通して一貫している気がする。
もちろん研究のプロセスが楽しいからとかトピックが好きだから、というのは常に根底にあるのだが、論文を使って何をしたいかは変わり続けている。
大学にいたときは医学部に入るのに有利だろうから、という様な動機で書いていたし医学生のときは推薦状をもらうためやらマッチングのためだと思って書いていた気がする。
レジデンシーに入ってから論文を書いたのは自己肯定のためだったように思う。
この話を書くのは恐る恐るなのだが、
僕が2015年に胸部心臓外科プログラムにマッチした施設は、大学や医学部全体では有名だが心臓外科は下火で、もちろん見方にもよるのだろうが他に臨床・研究ともにもっと勢いのあった他施設に行きたかった僕にとってはかなり悔しい結果となった。
当時は臨床研究もそれほど活発ではなく、学会発表もあまり無いしアカデミックな士気の様なものはレジデント含めてプログラム全体では決して高く無かったと思う。
外から見た専門分野内でのその施設の評価は、論文や学会発表でのプレゼンスやプレイヤーのアカデミックな認知度によるところが大きいと思っていたので、そこを上げることができれば「あそこ凄いじゃん」となってプログラムが盛り上がりそれが「結局ここで良かった」という自己肯定に繋がるのではないか、というおこがましいことを画策していた。
しかしどうすれば良い研究ができるかいまいちわからずに細々とレビュー論文などを書きながらしばらくモヤモヤしていたのだが、
2017年に今の最強カリスマ心臓外科チーフが就任し、結構な改革を行い臨床も研究もガラッと雰囲気が変わり、一応臨床研究チームのようなものも立ち上がった。
そこで研究に本腰を入れる様になったしその辺りから臨床研究に対する考えやスキルやらが加速したような気がする。
しかし研究チームを立ち上げた頃は全く上手くいかず、論文はなかなか通らないし学会に送った5本の抄録が全部リジェクト、ということもあった。何を思ったかチーフが100万円くらいで心臓外科手術の全米データを買っても良いと言ってくれて、それを使って書いた抄録が通ったのだがオーラルではなくてポスターで、
他施設が何本もオーラルで発表しまくっていたその学会中、チーフと二人でフロリダのホテルのプールサイドでダラダラとカクテルを飲みながら、大金をかけた割には成果が出なかったことを急に不甲斐なく感じ「やっぱり勝ちは遠いですねー」というようなこと口走ってしまったこともあった。
不思議なものでその後少ししてから徐々に点が線で繋がっていくようなフェーズに入り成果が出始めて、
今年の胸部心臓外科学会では一つの学会では通ったオーラル2本の内1本は大学生が筆頭で書いた抄録だったのでかなり嬉しかったし、もう一つの以前5本全てリジェクトだった学会ではオーラルが3本通り(バーチャル移行で結局1本だけのプレゼンになってしまったが)、伸びている感じはする。
論文も一定のペースで出るようになり当初の目的であった、他施設のアテンディングやレジデントから認知される、という点も手応えを感じる機会が徐々に増えてきている気がする。
また、面接や実習にくる外の医学生が「論文読みました」とか「ここに来てあの論文でやっていたような研究したいです」とか言ってくれるのはお世辞でもすごく嬉しい。
今のボスの元で研究できるのもチーフのおかげなので感謝しかないし、回り回って論文を通して、胸を張れる程の成果はまだないが今いるところの居心地はよくなりつつある気がする。
まとめ
ただの身の上話になってしまったが、臨床アカデミアの土俵の上では論文が通貨であり正義のような気がするので、論文を書くことで実現できることがまぁまぁあるのではないだろうか。
そしてマッチングの日に励ましていただいた先生方と5年越しに飲み会で論文についてお話しすることができたのは感慨深かった。