論文本数は無意味? 

ほとんどの臨床論文は無意味?

少し前にツイッターで炎上した某先生の

論文100本はないとその分野の権威とは言えない

という趣旨の発言。

ただの煽りだったのかもしれないが

もちろん論文を量産しやすい分野としにくい分野があり、基礎研究者と臨床研究者の本数を比べるのはアンフェアだし、

あまり意味の無い論文を100本書くよりは高インパクトの論文が1本あった方が研究者としての実績は上ではないだろうか。

論文何本、みたいなのは字面にしやすい(僕もこのサイトに本数を書いている)が本数自体に価値はないはず。

でも、医者の世界では特に論文の本数が重視されている気がする。炎上ツイートの某先生も医者。

僕も実際気にしていた。本数が上がるにつれて査読依頼も増えたし、分野での認知度が上がった気はした。

本数稼いでCVを水増しすることが実際に優遇されてしまう。これはマズいシステムだと思うけど現実。

実際に研修医マッチングのランク会議でも、「この学生は論文○本あるから優秀」というような評価がされることもあるし、医学生も必「マッチングまでに何本は欲しいから」と言って本数が稼げるチームやテーマを選ぶ人を見かける。

なので、サイエンティフィックな価値はほとんどないとしても研究社会的に、特に医者の社会で上に行くには本数はある程度必要と思わざるを得ない。

なので僕は、手段ではあるが目的ではない、とある程度割り切っている。

  

ほとんどの論文は無意味か?

スタンフォード大のJohn Ioannidis 教授がこういったメタなトピックの権威で、

Why Most Published Research Findings Are False. Plos Med. 2005

というのと

Why Most Clinical Research Is Not Useful. Plos Med. 2016

というのを10年おきに執筆している。

結論から言うと教授の論文のタイトルにも書かれている通り、

ほとんどは無意味

なぜなら

Most clinical research therefore fails to be useful not because of its findings but because of its design.

ほとんどの臨床研究は、結果が問題なのではなくスタディーデザインに問題があるため意義に欠ける

Ioannidis, J. Why Most Clinical Research Is Not Useful. Plos Med. 2016.

かなり耳が痛い真実を乱発している2016年の論文に書かれている、臨床研究の存在意義を評価するするための項目(Table 1)をまとめてみた:

臨床研究の意義を評価するための質問

  • 改善しなければいけない医学的問題が本当にあるか
  • 既存のエビデンスを考慮した上でその研究を行う意義があるか
  • その研究のサンプル数と追跡期間は質問に答えるために充分か
  • 実際の生活・臨床環境を模倣しているか。もししていない場合、その研究結果は実世界で意味あるものになるか
  • 患者にとって最重要な問題か
  • かかる研究コストに見合うだけの研究か
  • 実際に研究することが可能か
  • 手法、結果、解析は再現可能でバイアスフリーか

実際の論文はかなり綺麗な英語で書かれていて内容もリッチなのでかなりお勧め。

僕は今までに60本以上の論文を書いたが、上の質問に全て胸を張ってYesと答えられるのは1〜2本あるかないか…

ある程度の数を量産するプレッシャーはある中で、もっと意義のある研究をしたいと思う。

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